心が痛む瞬間、、、
メルハバ〜こんにちは!
ルームメイトが訳あって突然家を変えることを今日知り、
別れって常に突然だなあと悲しみに打ちひしがれているtamateaです、、
1ヶ月とちょっとしか一緒に暮らしていないのに、自然と涙が溢れ、
こんなにもルームメイトの存在が自分にとって大きかったんだなあ、と
改めて思い知らされました。。こっちに来てまだ慣れない日々を共に分かち合って来た仲間でしたからね、、
さて、前置きが長くなりましたが、
今回の題名は
「心が痛む瞬間」
です。
トルコに来て1ヶ月とちょっと、
私が住むこの街にはたくさんのカフェやレストランが並び、
街中は夜中までたくさんの人で溢れ、活気に満ち、
ボスフォラス海峡を見ながら皆がリラックスし、おしゃべりを楽しみ、
トルコの美食を頬張っては幸せな気持ちになり、
、、、
と楽しい部分、素敵な部分、豊かな部分、恵まれている部分
につい目が行きがちになってしまっていましたが、
ちょっと視野を広く持てば、
いや、持たなくても、
街中では目を背けたくなるような場面に接する時があります。
道のど真ん中に座って鍵盤ハーモニカを弾きながらお金を集める少女、
街中にあるごみ収集所から生ごみを漁って夜中に食らいつくおじいちゃん、
小さなお花の雑貨を売りつけに来た少年、
通りに座って幼子を二人両肘に抱え込み、顔をうつ伏せ、お金を集めるお父さん、
、、、
これらはどれも紛れもなく私が実際にこの目で目撃し、私が住む街に実在している人たちです。
そんなにたくさんは見かけないですが、日常的な光景であるとは言えると思います。
彼らの横を通り過ぎるたびに、心がひどく痛み、
どうすることもできない自分のちっぽけさを知ります。
日本でも
ホームレスの人々に街で遭遇したことは幾度となくありますが、
トルコには「目に見える」貧困層が一層多いように感じます。
彼らがそのような行動をとっている背景に何があるのかを知り得ないので
どうにもこうにも言いようがないですが、
家系がが先祖代々貧しいから、という生まれ持った環境面での原因なのか、
それとも
難民として他の国から渡って来たがトルコで生計を立てることがあまりに難しかったから、という政治的・文化的な原因なのか、
それとも
失業し、収入を失ったから、という社会的もしくは個人的な原因なのか、
などなど、考え得る原因はいくつかあります。
しかしいくらこれらを頭の中で思い巡らしても当然彼らの生活が変わることはありません。
どうして世界はこんなに不平等にできているんだろう、
なんとなくずっと思ってたことですし、改めて問うておりますが
そんなことを問うたって意味がないことも知っています。
ただ、思いを馳せることしかできないちっぽけな自分を受け入れ、彼らにいつの日か素晴らしき日々が訪れることを祈り続けること、それが今の自分にできる精一杯のことなのかなとも思います。
せっかくモスクや教会がたくさんある環境にいるので、時間があるときはそれらに足を運び、彼ら彼女らに思いを馳せつつお祈りしたいと思います。
それではまた。
台風にお気をつけください、、、