tamatea紀行

トルコ留学中の日本人大学生が綴ります。

留学終了のご報告・今の心境

ご無沙汰しております、tamateaです。

 

しばらく落ち着かない日々が続き、書く気力すら起きない時間が続いていたのですが、

 

今日で3月も終わりということで、

このブログを読んでくださっていた方へのご報告を兼ねて

これまでの状況と心境を記しておこうと思います。

長くなりますが、読んでいただけたら嬉しいです。

(記憶を辿って書いていますので、情報に多少のずれがあるかもしれません。ご了承ください。)

 

 

遡れば、

中国に留学していた高校の同期が、コロナウイルス感染拡大に伴い1月末に日本に帰国して

約2ヶ月が経ちました。

まるで遠い昔の出来事のようで、まだ2ヶ月前という事実に驚いています。

 

あの時は私自身も正直「対岸の火事」だと思っていました。

留学の途中で帰らなければいけないなんてどれだけ悔しいだろう、と想像しても想像が及ばないくらいの出来事に感じました。

 

しかしその約2ヶ月後、自分にもその結末が待ち受けていることは頭の片隅にすら想像できていませんでした。

 

トルコ政府が初めてのcovid-19感染者を発表したのは3週間前、3月11日。

その時点では、「トルコもついに感染者出てしまったか。逆にここまでよく持ちこたえたなあ。」というくらいにしか思っていませんでした。

 

前回のブログを更新したのもその翌日、3月12日のことでした。

「留学の目標を見直す」なんて言ってましたから、その時はまだまだ留学続ける気満々でしたね。

 

そのまた翌日の3月13日。

感染者数がまだ5人であるにも関わらず、「トルコの大学は3週間の休校期間に入る」との発表がなされました。しかしその時点でもまだ楽観的でした。「3週間なんて

長いな〜〜何しようかな〜」という感じです。

3週間後には絶対にまた学校が再開されるという希望的観測が個人的にはありました。

 

しかし世界の状況はどんどん悪化するばかり。

 

3日後の3月16日。

外務省による感染症危険情報においてヨーロッパ全体が「レベル2」と発出され、ヨーロッパの留学の同期の中で帰国を決断する人たちが出始めました。

(トルコはその時点ではまだ「レベル2」ではなかったです)

この時からやっと「いよいよ時間の問題かもしれない」という危機感がじわじわと出てきた気がします。

 

毎日感染者数の更新をニュースで確認しては、寮のキッチンで料理をし、ご飯を食べ、寝るという生活が続いていました。

 

休校期間の開始後、寮の友人たちのほとんどがそれぞれの地元に帰省してしまったので、

部屋に一人、外出するとしてもスーパーのみ、という生活です。

 

世界で爆発的に感染者が増加し始めてから初の感染者が出たトルコでは、

コロナウイルスに対する危機感、恐怖感が初の感染者数が出た初期の段階から非常に強かったように感じます。

 

そのため友人や先生たちも口を揃えて私に「外に出ないで。」という注意勧告をしていました。

人で溢れていた街が静かになり、私も外になるべく出ないように心がけました。

 

(この頃東京の様子をネットで見ては、「危機感が薄すぎるのではないか。」と疑問を投げかけずにはいられませんでした。スペインにいるサッカー日本代表選手たちも最近そのような投げかけをしてくださっていますので是非目を通してみてください。)

 

あれよあれよといううちに感染者は増え、

精神的にも苦しい日々が続きました。

 

人との接触がない毎日。

授業もアルバイトもサークルも友達との時間も家族との時間もない毎日。

 

無力感に苛まれ、人生であんなにも空っぽな毎日は経験したことがないかもしれません。

その頃になって休校期間が延びる可能性があるというニュースが流れ、

帰るべきか、残るべきか、

自分とたくさん対話をしようと試みても試みても、

答えの出ないまま時間が経つばかりでした。

 

こんな形で留学を終えたくはない。

まだまだトルコでやりたいことがある。

もう一度友達に会いたい。話したい。一緒に笑いたい。

、、、、、

 

でもそんなことができる未来がすぐに来ないことは目に見えていました。

 

未来への希望を一旦取り払い、現実に目を向けた時、

 

感染者数が悪化する国で一人で家に篭り続けているのは私にとっての留学生活ではない、

という考えに至りました。

(家族や留学同期とも何度も話し合い、決断に至りました。)

そして帰国を決断したのが3月22日。

 

3月末の飛行機を予約しようとパソコンを開いたその日、

 

トルコ航空のアイジュ会長は「3月27日以降、ニューヨーク、ワシントン、エチオピア、香港、モスクワ以外のフライトは停止せざるをえない」と発言しました。この報道を裏付ける情報も別途入手しており、27日以降、日本への直行便がなくなる可能性が極めて高い状況です。

 

という内容のメールが在イスタンブール領事館から届いているのに気がつきました。

 

それはつまり3月25日の便がしばらくの最終直行便になるということでした。

 

心臓が速く鼓動するのを一生懸命抑えつつ

急いで3月25日の便を取り、一安心したという怒涛の流れは今でも鮮明に覚えています。

 

帰る飛行機がない、またオンライン授業もいつ開始されるか分からない状況下で

トルコに残り続ける自信がなかったというのが決定に至った一つの理由でもありました。

 

近くに住んでいたアジア系のお友達たちに別れを告げ、

3月25日に無事帰国することができました。

 

最後の最後まで悩みに悩んだ末での決断でしたが、

今はこの決断に悔いはありません。

 

もちろん10ヶ月当たり前のように続くと思っていた留学生活を途中で終えざるを得なかったことについては、悔しさ、無力感、悲しさ、などと言った言葉では表しきれないやり切れなさがあります。

 

しかし、パンデミックという世界的現象は個人の力ではどうしようもできないあまりに大きな障壁でした。だから今回の留学打ち切りは仕方がないんだ、そう割り切ることにしました。

 

やっぱり失って初めて気付くというようなことはあるもんで、

脂っこいとか言っていたトルコ料理も今では恋しく、

あ〜自分はもうトルコのことをこんなにも愛おしいと思うまでになったんだな、

と最後の帰国数日前から感じていました。

 

決断から帰国までが速く、あまりに切ないトルコとの別れでしたが、

またすぐに帰ってくるぞとボスポラス海峡に声をかけ別れてきました。

 

そして帰国後の実家での日々。

自分が気づかないところで溜まっていたストレスや生活環境の変化が原因と思われる

睡眠の質の低下を感じる日々が数日続きました。

(朝起きても緊張状態がずっと続いていたような感覚が残るという現象が数日続きました。)

 

相変わらずニュースでは連日コロナウイルスに関連した報道で溢れ、

一体この世界はどうなっちゃうのだろう、

と悲観的になってしまう瞬間が多く、

これからの私の人生、どうなっちゃうんだろう、希望はあるのかな、

とさえちらっと思ってしまう時もあります。

 

そんな時にふとCMで流れたフレーズが胸に刺さりました。

 

「人生を素晴らしいものにするっていうのは難しいけど、

今日この一日を素晴らしいものにするところから始めてみては?」

 

というような内容でした。

 

まずは今日という1日にフォーカスしよう、

 

将来を見据えて生きるのも大切だけど、

今のこのご時世、先が読めない未来が控えている中で、

そんな未来を無理に描く必要なんてないんだって教えてくれた気がします。

 

皆さんも大変な時期をお過ごしかと思いますが、

一日一日を大切に噛み締めていけたらいいですね。

 

皆さんのご健康ご多幸を心よりお祈りしています。

 

 

 (誤解を招きたくないので一応記しておきますと、今も留学先に残っている友人に反対しているわけではありません。彼らには彼らなりの決断があり、尊重したいと思っています。)